そら犬のエサ

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アニメ『まちカドまぞく2丁目』9話のシャミ子「哲学」発言は一体何が哲学なのか

先日『まちカドまぞく2丁目』を見ていたら、9話で主人公・シャミ子と学友・小倉しおんとの会話で妙に気になった点があったので、解釈解釈。

 

ちなみに、これを読んで作品がより面白くなる、とかいうことは全くない、ただの独りよがりである。

 

 

ことの発端

『まちカド2丁目』9話、後半冒頭。シャミ子と「突然天井裏から登場した」小倉との会話。

 

シャミ子「天井から出てきた理由を先にください。」

 

小倉「なぜ天井裏にいたかと聞かれれば、そこに天井裏があるからだよ」

 

シャミ子「哲学…」

哲学か?なんかわかる気もするが、そんな哲学味もない気もする。

 

いったい何が「哲学」なのか?

 

一応考察に入る前に、「制作者が間違えた」という案は拒否する。つまらないので。

 

哲学は深淵だ!

哲学といえば、なんか深淵そうなことを言うイメージがあるだろう。だからシャミ子も、小倉の発言になんらかの深淵さを感じた可能性が高い。その辺にアタリをつけて解釈してみよう。二つの説を提案する。

解釈1:発言内容の深さ説

この説は、そのままだが、小倉の発言の「意味内容」が深淵で「哲学」と言ったという解釈。

 

深淵な発言とは、例えば次のような架空の発言だろう。

 

シャミ子、人間は筋トレによってデカルトの二元論的構図を脱して、超越的なエーテル体の段階にその肉体を昇華させることができるんだよ

 

デカルト」「二元論的構図」「超越的」など、深淵な響きがある「哲学的発言」だろう。筋トレの超越哲学*1

 

多くの作品での「哲学だ」は、このような深淵な発言に対する応答のように思われる。しかし、重要なのは、『まちカド』での小倉の「天井裏発言」は全く深い意味内容を持っていないことである。

 

 

少なくとも「天井裏」や「〜だから」という言葉の意味を知っていれば理解できる内容であり、通常の日本語話者と思われるシャミ子には、いくら頭が悪くても、簡単に理解できただろう

 

従って、シャミ子が「哲学」と言ったのは、小倉の発言の内容が深かったからではないと解釈すべきだろう

 

解釈2:行為とのギャップ説

ところで、私たちは何かを発言するとき、単に発言内容を相手に伝えるのみでなく、同時に発言によって内容伝達とは別の行為をすることが多い。

 

例えば『まちカド2丁目』4話での喫茶「あすら」の店員・リコの発言。

 

今日はぶぶ漬けしかないんやけど、大丈夫?

 

この怖い発言によってリコは、「ぶぶ漬けがある」という内容を伝えると同時に(もう少し複雑だが*2)、退店を促すという行為もしている

 

そして、問題の小倉の発言も「天井裏があったから」と述べることで、理由づけという行為をしていることがわかる。

 

ここで一つ重要なのは、小倉の発言は理由づけに成功していないように思われることである。

 

つまり、天井裏にいる理由は文脈的に「シャミ子ちゃんたちを監視するためよ〜」のようになると思われ、「天井裏があったから」は理由づけとして全く的外れな感じがするのだ。

 

しかし一方で、小倉の発言は「〜だったから」という理由づけのフォーマットを満たしており発言する秀才・小倉はあたかも理由づけが成功したかのような自信を持った振る舞いをしている

 

そして、この行為のギャップにシャミ子は深淵さを見たのではないか?

 

つまり、ナンセンスな理由づけをしつつも泰然と振る舞う小倉の行為のギャップに、異様な深淵さをシャミ子は感じ、「哲学…」と述べたのだ。こんな解釈ダメかな?

 

どうでもいい解釈のまとめは哲学を呼ぶ

まとめれば、シャミ子は小倉の発言内容ではなく、発言による理由づけ行為(と他の行為のギャップ)の深淵さに「哲学」を感じたのだ。

 

哲学=意味深なこと=自信ありげなのに変な理由づけ≠発言内容

 

発言内容じゃない哲学は比較的レアケース。多分。

 

だからなに?——知りません。

正しい解釈なのか?——知りません。

 

しかし、発言によって私たちは意味内容の伝達のみではなく、理由づけのような「別の行為」もしている、ということは「会話の哲学」的にはまあまあ重要。

 

ちなみに発言による行為は、20世紀イギリスの哲学者、J・L・オースティンが先駆的に頑張って分析してくれたらしい*3

 

そして、実は発言による意味ではなく行為が意味深になることもあるよね、みたいに、深淵で意味わからなそうな「哲学」は、むしろ深淵な発言ないし作品の明確化・分析に役立ったりするのかもしれない。知らんけど*4

 

がんばれシャミ子、哲学を使って意味深発言を分析できる魔族になるんだ

*1:念を押すがもちろん架空の発言で作品には関係ない。ところで、通常の肉体と異なるらしい魔法少女・桃が「筋トレ」という「通常の肉体強化」を有意味なものとみなしている箇所は、本当に「肉体(物体)」と「精神(≒エーテル体?)」の二元論を仮定するデカルトの構図では説明できない気がする。

*2:ぶぶ漬けしかない」という発言は「帰ってください」という意味内容を持つスラングである。なんかややこしそうだが、いずれにせよ発言で内容伝達+退店要求の二つをしている

*3:『言語と行為』

*4:少なくとも以上の分析は全く無意味だ